<DAY BY DAY>




1960年。
J・F・ケネディは、アメリカ合衆国第35代大統領選に勝利しました。

史上最年少43才の大統領と、
31才のファーストレディの誕生です。
合衆国は、この若く美しいカップルの上に、
アメリカンドリームの理想を見い出し、
熱狂と共に、新しい時代の幕開けを感じていました。







上院議員の、
しかも並外れて野心家の夫を持った時から、
ジャクリーンは、
いずれこの日が来る事を予想していたはずです。
それは彼女自身の野心でもあったでしょう。
しかし、政治家の妻の立場は、
タフでなければ務まらないものでした。

精力的に基盤を拡大していく夫に、
付き従ってきた中で、ジャッキーは相次いで、
流産と死産、そして長女の出産を経験しています。
この大統領選挙の最中も、
身重の身体でキャンペーンに回り、
勝利から3週間後、ようやく無事に男の子を出産できました。
後に、アメリカン・プリンスと称される運命の子、
ジョン・F・ケネディJr.です。





選挙は大接戦で、当確が出たのは翌日の朝でした。
しかし、それより数時間前の未明には、
ハイアニスポートのケネディ邸の周りを、
すでに、シークレットサービスが固め始めていました。

それは、昨日まで手にしていた自由に、
囲いが出来た瞬間でした。
そしてこの時から、ジャクリーンのプライバシーは、
永遠に失われることになったのです。




大統領夫人として脚光を浴びるやいなや、
全米には“ジャッキー旋風”が巻き起こります。
黒髪で、目の間も離れ過ぎているジャクリーンの容貌は独特で、
決してオーソドックスな美人とは言いがたいにも関わらず、
彼女の存在は美意識を覆すものになりました。

彼女には、スリムな体型と、独特のファッションセンスがありました。
その、シンプルで洗練されたフォルムは、
“ジャッキー・スタイル”として、今も定着しています。
ジャッキーの出立ちは、ことごとく女性たちの憧れを誘いました。







美の基準で言えば、50年代前半はマリリン・モンローの時代です。
戦争に疲れた男たちを、やさしくセクシーに包み込む、
雌としての魅力が、時代を活性化させました。

50年代の後半になると、新しいムーブメントが起きます。
知性や品格といった、肉感性を伴わないイメージが取って変わり、
女を強調したものは、むしろ古臭く映るようになってきます。
その基準となったのは、オードーリー・ハプバーンです。
おしゃれでありながら、誰もが気軽く日常に取り入れられる、
普遍性を持っているのがオードリー・スタイルです。
巷には、オードリーのコピーのような女の子たちが氾濫しました。

その意味では、
マリリン・モンローは、やはり突出した存在でした。
決して日常にはありえない、どんな女も真似の出来ない、
夢の女神でした。

前回記したように、マリア・カラスも、
ヘプバーンに多大な影響を受けた一人でした。
伝統芸術のディーバという重くなりがちな自己イメージを、
誰もに愛され、気軽に模倣できる、
オードリー・スタイルというものを借りて表現した事で、
洗練された存在として、オペラ界のみならず一般社会からも、
人気を獲得することが出来ました。






ジャッキー・スタイルも、このヘプバーンの流れに、
スノッブでセレブ風なノーブルさを加え、
男にとって都合のいいだけの、ただの“女”ではない、
人格そのものを個性的に表現する、という、
新しい女性像を、提供することになりました。
それはまた、ケネディ政権の人気にも、著しく貢献します。

パリを公式訪問した際、ケネディ大統領は、
「私が、ジャクリーン・ケネディをエスコートしてきた男です」
とスピーチして、喝采を浴びます。
世界を魅了する、という点では、
夫よりジャッキーの方が上回ると、言われるほどになっていました。


しかし、
そんなジャッキーを自慢し、余すところなく利用しながら、
夫、ケネディ大統領が男として求めたのは、
マリリン・モンローでした。
セックスの女神も、今のジャックにとっては、
容易に手の届く一人の女に過ぎません。

二人の女は、同じ土俵に立つ事になったのです。









今ではもう有名な事実として知れ渡っていいることですが、
ジャック・ケネディは、セックス中毒と言われるほど、
自分のリビドーを持て余した男でした。
この、大富豪のハンサムな御曹子は、
下院議員の時代には、すでに社交界の名花や、
モデル、ハリウッドの若手女優などと、数々の浮き名を流して、
有名なプレイボーイとなっていました。

相手の中には、いつ国家的危機を招いてもおかしくない、
危ない女たちもいました。
東側のスパイ容疑の掛かった女などは、まだ小者でした。
大統領の恋人になりながら、
同時にマフィアのボスの情婦であった女までいたのです。

そんな事はお構いなしに、ジャックの情事は、
結局、最後まで見境なく続きます。
ジャックの女漁りは、異常でした。
まるで、健康体を維持する為の必須項目であるかのように、
寸暇を作って、一日の内に別々の女たちとの時間を持ち続けました。



ジャクリーンという人は、
女臭い愛情で夫にヤキモチを焼くタイプではありませんでした。
夫の狂ったような情事に抱くのは、軽蔑だけ。
新婚時代から、夫の女遊びにさらされてきたジャッキーは、
その捌け口を、これも狂ったような浪費に向けます。

彼女自身は、上流の出身と言っても、
経済的に豊かなわけではありません。
ジャックとの結婚を決めた魅力の一つは、
ケネディ家の財力にありました。

ジャックの父ジョセフは、息子をアメリカの王にする為に、
ジャクリーンにまたとない嫁としての資質を認めていました。
拝金主義のケネディ家にあって、
山のように送られて来る、嫁の衣装代の請求書を、
彼は黙って、すべて処理しています。
あの“ジャッキー・スタイル”も、
ジョセフ・ケネディという後ろ楯あっての賜物でした。












そんな中、57年に、俳優ピーター・ローフォードの家で、
ジャックとマリリン・モンローは出会います。
ローフォードはジャックの妹と結婚し、
ケネディ家の一員となっていました。

マリリンは当時、
高名な劇作家アーサー・ミラーと再婚していましたが、
59年になって、二人の関係は始まります。
つかず離れずの距離の中で、
ジャックが大統領選のキャンペーンを張る頃には、
二人の仲は急速に深まって行きます。


この関係は、ジャクリーンの耳にも届いていました。
大統領候補に指名された事が、
「浮気のきっかけになったのか、それとも関係の終りを意味するのか」
分からないと、もらしたと伝えられています。



54年、マリリンは、
ジョー・ディマジオとの結婚生活に半年で破れた直後、
NYへ行って、有名なアクターズ・スタジオに通い始めます。
その年の初めには、
マリリンは睡眠薬が手放せない状態になっていました。

二人の離婚のきっかけとも言われた『七年目の浮気』の撮影中から、
遅刻が激しくなり、嫉妬深いディマジオとの生活にも疲れ、
心機一転、女優としての演技的修練を求めたのでした。
20世紀FOXからは、軽いコメディばかりを振られ、
契約でがんじがらめにされる中、
彼女は本格的な女優と言われるようになりたかったのです。

そこで、アーサー・ミラーと出会いました。
アメリカの知性と言われたミラーは、
その時のマリリンが最も求めていた相手でした。
ミラーの離婚を待って、二人は56年に再婚します。
しかし、アーサー・ミラーもまた、
マリリンの不安定な情緒を、支え切ってやることはできませんでした。

薬とアルコールの量がどんどん増す中で、
マリリンは58年に、『お熱いのがお好き』の撮影の為、
ハリウッドに戻って行きます。
次作『恋をしましょう』の相手役、
イヴ・モンタンとの、つかの間の恋にも破れた頃、
JFKと再会したのです。








この58年に、マリア・カラスは、NYに来ていて、
『椿姫』で大成功をおさめます。
カーテンコールは30分も続きました。

ジャクリーンなら、当然この公演の事は知っていたでしょう。
しかし、この頃のケネディ夫人は、
やっと授かった長女キャロラインの育児に追われ、
上院議員の夫も、来る60年の大統領選での、
候補者指名獲得の水面下での調整に、血道を上げている最中でした。

ジャクリーンもマリアも、
互いに深く関わりあう存在となる事は、
まだ知る由もありません。


マリアにも、この頃、人生の転機が訪れます。
黄金のギリシャ人、アリストテレス・オナシスとの、
運命の出逢いです。


オナシスは、ブエノスアイレスでの成功の後、
念願の海運業に乗り出し、巨万の富を得ていました。
世界のエネルギー源が、石炭から石油へと移項して行く事を見抜き、
巨大タンカーの時代となることを予見したアリは、
サウジの王室から、石油輸送の独占権を獲得し、
世界一の大富豪となったのです。

富と、海運王の称号をを得て、アリが次に欲したものは、愛でした。
アリは、時代のスーパースター、マリア・カラスに、猛烈な求愛を始めます。
マリアに、資産家のメネギーニという夫がいる事も、
天下のオナシスにとっては何の障害でもありません。

59年の夏、
オナシスの世界一の豪華ヨット“クリスティーナ号”に、
夫婦で招待された後、マリアはついに、
夫であり、良きマネージャーであったメネギーニと離婚します。


アリには、妻子がありました。
妻のティナは、ギリシャの老舗海運業者の娘でした。
アリは、ティナとの結婚で、
ギリシャの海運業界に足場を築くことができたのです。
夫と世紀の歌姫との、派手なスキャンダルの陰で、
ティナもまた、睡眠薬とアルコールに溺れて行きました。
二人の子供達は、母を捨てたオナシスと、マリア・カラスを憎みます。

マリアは、オナシスとの愛の暮しに全霊を注ぎ、
歌う事から遠ざかるようになりました。
世界中の舞台を回る旅暮らしに、疲れていたのかもしれません。


オナシスとマリアの恋は、汚名となって糾弾されますが、
二人には関係のないことでした。

こうして、世紀のディーバは、ただの女になりました。









マリリンも、ジャックとの恋にのめり込んでいました。
ジャックは彼女を連れて、大統領専用機エア・フォース・ワンで、
サンタモニカのローフォードの別荘に行っています。
また、NYのホテル・カーライルは、
大きなサングラスに、ブルネットのかつらで変装したマリリンが、
ジャックとの逢瀬に通った場所でした。

この間のマリリンは、
薬とアルコールの摂取による、発作的な錯乱状態のせいで、
何度も精神病院への入退院を繰り返すようになり、
61年には一本の映画も撮っていません。
マリリンの夢は、もはや大女優になることではなく、
愛するジャックと、共に生きることのみにありました。

マリリンは、度々、
ホワイトハウスに電話を掛けていました。

ある日、彼女は、大統領執務室ではなく、
ジャッキーの部屋に電話をします。

その時のジャッキーは、極めて冷静でした。

「私がジャックと離婚をすれば、彼と結婚できるでしょうけれど、
そうなったらあなたは、ホワイトハウスに移って来なければならないわ。
あなたに、公人として生活する心構えが出来ているのなら別だけど、
そうでないなら、すべてを忘れてしまった方が利口よ。」

口とは裏腹に、
ジャクリーンの心の中は煮えたぎっていました。




62年の5月に、マリリンは、
NYマジソン・スクェア・ガーデンの、
特設舞台に立っていました。
それは、ケネディ大統領の45才の誕生祝賀会の会場でした。

Happy birthday,Mr. President・・・
甘くかすれた声で歌うマリリンの姿は、
悲しい伝説になりました。
それから3ケ月後、マリリンは亡くなったからです。
36才でした。
死因は今もって謎のままです。
自殺なのか、事故なのか、他殺なのか。。。

ケネディは、マリリンが思うほどには、彼女を愛していませんでした。
彼にとっての女は、あくまで自分の男を満たすものでしかなく、
通り過ぎて行くものでした。

マジソン・スクェア・ガーデンで、
スポットライトに浮かび上がったマリリンの、
歓びに溢れた、この世のものとは思えぬセクシーな姿は、
皮肉にも、合衆国大統領に、
その命取りとなる存在であることを痛感させたのです。

初めて公の場所に出て来たマリリン、
それはやはり、ただの女ではない、
魅惑の女神マリリン・モンローでした。

ジャックは底知れぬ脅威を感じたのかもしれません。
ほどなくして、マリリンが掛ける大統領執務室への電話は、
まったく繋がらなくなりました。




ジャクリーンは、マリリンの死亡にコメントを求められ、
ただ一言を残しています。

「彼女は、永遠に生き続けるでしょう。」















物語は、第二幕へと移ります。
マリリンの死は、この壮大な悲劇の叙事詩の
プロローグでした。


運命の輪は、その非情の力で回り続け、
選ばれた人々を弄ぶかのように、さらに加速を増して行きます。
それはもはや、誰にも止められない、
神の御手のなせるわざでした。。。








『三つの花』vol.3へ続く














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