
〜瀬戸純哉編その0〜
相川:離風霊船リレーインタビュー第3回、ゲストは瀬戸純哉さんでーす。
本日も離風霊船の事務所にて鍋をしながらお送りしたいと思います。
前回に引き続き、鍋作成・相川です。今回はキムチ鍋で〜す
というわけで、オープニングだけ(笑)
ここでちょっと鍋を食べたいと思いま〜す。

その間、瀬戸純哉自叙伝でお楽しみ下さい
瀬戸純哉自叙伝

1974年6月6日神奈川県伊勢原市で生まれる。
一日中寝てる全く手のかからない子供だった。
以来、「手がかからないのは赤ん坊の時だけだった」が親の口癖。
3才
祖父の葬式から本人の記憶が始まる。
5才
近所の成瀬幼稚園に入園
その後の人生を左右する体験を数々する。
ドッチボール大会中にUFOを発見し、先生に怒られる。
近所に許婚がいたにもかかわらず、
同じクラスの女の子に初恋をする。
本人は両想いだったと思うが以来、恋はいつも勘違い。
ちなみに許婚と言われてた子は別の男性と現在結婚している。
6才8月
心臓の病気、川崎病にかかり、一か月入院。自立心が芽生える。
入院中に見よう見真似で箸の持ち方を覚える。
いまだに大樽(稽古場近くの飲み屋)で大橋さんに注意されている。
検査中にモニターで自分の心臓を看護婦さんに見せられる。
かなり不思議な体験だった。
夏休みあけ、となりのクラスの先生に「生きてたの?」と言われ、
自分が生死の狭間にいた事に気付く。以後、不良園児になる。
お迎えのバスに乗らずに勝手に帰ったり、
隣の席の子に絵を書いてもらって入賞したりしてた。
プールは着替えるのがめんどくさかったので理由をつけてはさぼっていた。
ハーモニカのテストで音楽が理解できず、ピアノ教室に通わされるも
入院のため、一日でやめる。以後、音楽との格闘人生がはじまる。
伊勢原市立緑台小学校に入学
習字と幼稚園でプールをさぼっていたのがバレて水泳教室に通わせられる。
2年生
地元のサッカー少年団に入団させられる。
本人は野球部に入りたかったが、兄に「デットボールが痛いぞ!」
と言われ、簡単に志を曲げる。
しかし、サッカー部はヘディングが痛かった。
サッカー部に入団したことによって、
自分の部屋でテレビゲームと超合金のロボットで遊ぶのが好きだったのが、
ザリガニ釣りをしている友人に出会い。
野山で洞窟探検をしたり、クワガタやカブト虫を取る子供になった。
3年生
水泳大会で学年3位になる
4年生
授業中にあくびをして親に報告される。
5年生
本人はめんどくさいから大反対をしたが、クラスで山羊を飼う。
以来、責任感が芽生え、少しは人生を真面目に考えるようになる。
6年生
部活動の友人達と算盤塾に通うが、友人達と一緒にいることが楽しく、
あまり身に着かなかった。
伊勢原市立成瀬中学校に入学
サッカーブームに乗り、人生最大のモテモテ期になる。
あの時の女の子たちはどこにいったんだろうか...
自宅から自転車で5分の神奈川県立伊志田高校に入学
NHKの朝ドラをみてから通学するのが日課だった。
ちなみにその時にみてたのは松戸さんが出演してた「ひらり」だった。
卒業生にZARDの坂井泉がいたために学校がフライデーに載る。
いままで一緒にいた仲間と別々になった為、サッカー部をすぐ辞めた。
以後、3年間で28キロ太る。
結局高校3年間で体型がやせ気味から太り気味になる。
2年生
高校生クイズに出場し関東大会で西武球場のグランドに降りるも、
おしくも4問目で落選。
その時の問題は「昆虫で一番種類が多いのは蝶である」だった。
答えはNOだった。
3年間無遅刻無欠席で皆勤賞だった。
自宅から自転車で30分で通える東京工芸大学工学部画像工学科に入学
バイトと麻雀の日々だったが就職活動時期に近付くにつれ人生を考えるようになる。
4年生
劇団ひまわり付属俳優養成所に入所
卒業式の日に卒論をなんとか提出して卒業させてもらった。

25才、6月
大河ドラマ「葵 徳川三代」に若駒プロとして出演。
以後大河ドラマに出演しつづけ、数々の大物俳優に斬られる。
2000年4月
劇団離風霊船入団