〜相川倫子編その3

大橋:そして、1991年に“とりづくし”があるんですよ。
相川:あったあった!
大橋:これはりぶれかぶれの旗揚げ公演。
    当時入った新人さんたちが、リブレの本公演ではなく、自分達でやりたい
    というんで、やった公演ですね。文芸座ル・ビリエで。

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大橋:本はどうしたんだっけ?
相川:本は皆、それぞれ書きました。
大橋:別役さんの“とりづくし”の本を下に、鳥に関係したような話を各自で書いて、
    各々お互いの作品を見つつ、作り上げたオムニバスの作品ですね。
相川:ホント色んなことやりましたね、あの時は。
大橋:ちょっと汚れ役じゃなかったっけ?事件の・・・。
相川:被害者役。あの時のね、私の役は結構評判良かったんだけど・・・って自分でいう(笑)
    私は二役やったのかな。ひとつはガッチャマンシリーズっていって、コントを3パターン。
    で、男の子役をやって、早替えで事件の被害者の女子高生役っていうのをやって。
大橋:あれは結構衝撃的だったよね。
相川:ですかね?
大橋:俺のイメージではシミーズしか着てなかったような・・・。
相川:それ倉林です。まじってます。
大橋:その“とりづくし”がありまして、その役のイメージが、僕や伊東さんに強烈的な印象を・・・。
相川:本当かなぁ?!また適当に作ってませんか?
大橋:その後に、役者のレギュラーメンバーとして採用されるようになって。

大橋:次が“ラストスパート”ということで、これはときわ座という浅草の、
    もう閉館する最後の時期に何かやってもらえないか、ということで
    浅草の伝統あるボロボロの劇場でやりました。これはWOWOWが入ったんだよね。
相川:入りました。
大橋:WOWOWがまだ放送開始したすぐの時に、劇場中継もやりたいっていうんで入って。
    WOWOWでも、あの頃は結構時間にはルーズで、平気で、
    3時間くらいの劇場中継しちゃうみたいなのがあってね。
    確かメイキングも含めて2時間半くらいの作品でしたが、この作品で出演した役は?
相川:南の楽園に住むナパジャ人。
    ヒロインと出会ってしまう現地の娘。もじもじくんのようなボディスーツを着つつ、
    顔も首も真っ黒に塗って、やりましたね。
大橋:この時くらいまで、衣装やってたのがですね、なんと今をときめく前田文子さん。
    もう、芸術文化賞だの何だの総なめにして、今、押しも押されぬ衣装デザイナー第一人者が
    実はうちの劇団にいた人でした。
相川:すごいですよね。
大橋:この時、彼女に「現地人の衣装どうしよう?」って言ったとき、
    まず「当然、裸でしょ」っていう風に言われましてね、
    「それはねぇ、ちょっとまずいんじゃないかなぁ」と。
    彼女、その頃他の劇団の衣装デザイナーもやってて、「そんなの他の劇団当たり前よ。」
    とか言われても、「ごめんね、それだけは簡便して」ってことで、あのボディスーツになりました。
相川:よかったです。
大橋:影ながら、ちょっとがんばってみました、ハイ。
    でも、顔・手足真っ黒にして。
    実はこのナパジャというのはですね、簡単にスト−リー説明しますと、
    日本で、戦後初めて徴兵制度が始まって、最初に徴兵の赤紙が来たという人のお話なんですが、
    それの・・・なんだっけ?何を言おうとしたのかな・・・??
相川:作家もよく覚えてません。
大橋:よく覚えてません。
相川:それくらい古い話です。
大橋:そこにある、南の島のひとつの国が、日本に宣戦布告をしたというお話から始まるわけですが、
    そこの現地の人間として、相川倫子さんの役があったわけですが、どうでしたか?そのお芝居。
相川:セリフが覚えられませんでした。
大橋:セリフが日本語じゃなかったんですよね。
    実は、日本語をローマ字表記して、それを逆に読んで。
    “ナパジャ”てのは、実は“JAPAN”の逆から読んだ言葉だったんですね。
    全部、セリフも日本語をローマ字表記して、それを逆から読むという結構安直なやり方で、
    割とお客さんにはバレてたという。
相川:みたいですねー。賢いですよね。
    途中まで、大橋さんがちゃんとセリフも直してくれてたんですが、途中からは
    「セリフは日本語で書くからあとは自分で治してくれ。」
大橋:そんなこと?!なんちゅー劇作家でしょう??!!
相川:「法則は決めたから。」
大橋:そんなこと言ってたんですか。
相川:「ナパジャの法則は決めたら、あとは各自役者で直してね。」
大橋:ひどいヤツですね。なんちゅー劇作家だ!
    でもヘリコプター飛ばしたりね。
相川:ねぇ!やってましたねぇ。
大橋:ヘリコプターもね、ちゃんと人が一人乗ってね、飛んだんですよ、舞台上に。
    自由自在じゃないんだけどね。
    なぜヘリコプターなのかっていうと、その頃“ミスサイゴン”で、劇場でヘリコプターが下りてきた。
    ていうのが話題になってて、「いいよ、じゃあうちも飛ばそうよ」ということでね。
    向こうはね、降りてくる最中はヘリコプターに人が乗ってないの。
    しかも上から下にまっすぐ降りてくるだけで、着地して後ろからゴロゴロ入って来て、
    いかにも乗ってたみたいに出てくる。
    うちは違う!ちゃんと人ひとり乗って、飛んで、しかも左右にゆれて。
    乗ってる人間は、もういつ死んでもおかしくない。
相川:言ってましたね。
大橋:でもそれをWOWOWでやってね。
    WOWOWでやったときは、ちょっとエキサイティングなビデオを撮ろうと思って、
    そのヘリコプターの中に、うちで持ってきたビデオカメラを仕込んで、中からの映像を撮ったら、
    WOWOWの人がこれいいねっつってそれも採用されて、それも放送されたっていうね。
大矢:客席の方が映ってるんですか?
大橋:客席も映ってるし、そのヘリコプター目線が映ってるわけよ。
    舞台上でヘリコプターに右往左往する役者も映ってるっていうね。無茶なことをしてました。
相川:多いですね、そういう無茶なことは。
大橋:無茶が好きです。

大橋:次に“この指とまれ”がありましたね。これはもう本格的なちゃんとした役として。
相川:出てましたね、はい。
大橋:何の役でしたか?
相川:えーとね、梅子ちゃんていう・・・何者だったんでしょうね?
大橋:現地の村の娘で、交番のお巡りさんの婚約者だよね。

大橋:まぁそうこうあって、“LOMG LONG TIME AGO”は?
相川:出てないですよ。
    リブレの10年を振り返るっていう、
    あのオープニングは出てましたけど。
大橋:これは新宿のサンモールが
    出来た頃だよね、確か。
    そこで、いったい劇場費いくらなんだ?!
    ていうくらい1ヶ月、
    “LONG LONG TIME AGO”と、
    僕の“むかしむかし或るところに”ていうのを
    2本立てで新作でやったわけですよ。
    そのあと、ほとんどレギュラーのような感じで。



相川:大変なのが92年の“ゴジラ”で・・・!
大橋:これは全国ツアーだったんですね。
相川:私、もう就職活動始まってて、3年だったんですけど、大橋さんに呼び出されて、
    「ツアー、キャストつかない?」みたいな。
    「いや、私あの・・・就職活動がもう始まってるんですけど・・・。」って。
    でもね、やっぱり入るきっかけになったゴジラだし、どうしようって悩みつつ、
    全国ツアーだし、やっちゃおうかなぁなんて言ったら、
    私のスケジュールに合わせて、トリプルキャストで組んでくれるって言ってたのが、
大橋:そんなこと言ったんだっけ?
相川:トリプルなし。ダブルもなし。本役で替えなし・・・っていうことは、
    全部ついて行かなきゃいけないんだぁていう・・・
    それで早々に就職活動をやめーの、リブレのどつぼにはまった時期です。
大橋:ここも人生の分岐点ですね。
相川:おもいっきり分岐点ですよ。
大橋:これは、テントで全部廻ったやつですね?テントとか小屋とかね。
    これの前に本多劇場でやった時、映画俳優の永島敏行さんが見にきまして、
    その時に高橋克実がやってた役のセリフがですね、
    「あれは映画の中で俺がしゃべったセリフだ。俺にやらせろ。」って次の日に
    本多劇場で長島敏行が特別出演したという・・・。
    それに終わらずに、その次に長野県岡谷市に行くことになってて、その時にも
    「岡谷に行って出る」って言い出して、それで突然、岡谷で何の予告もなしに、
    長島敏行が出てですね、岡谷市民がびっくりしたというエピソードがあってね。
相川:ありましたね
大橋:その時に相川倫子さんは双子の妹役ですね。
相川:はい。
大橋:あられもない姿で。
相川:えーー?
大橋:タンクトップのほら。
相川:あぁ妖精のね。
大橋:この時は、モスラが変身して蛾になるまでやったんでしたっけね?この時はなかったのかな?
相川:やったかなぁ・・・?
大橋:覚えてないね。
相川:もういっぱいやりすぎ?
大橋:そっか。


大橋:ま、なんだかんだありまして、今日まで役者・相川倫子さんは至っておりますと。
相川:なんか、すごい10年とばされてる気がするんですけど。
大橋:(笑)
相川:今まで長かったのに・・・早かったなぁ。

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