〜相川倫子編その2


大橋:制作として劇団に入って、その後の話を。
    なんかね、覚えてるのが、埼玉から来たというのが非常に印象的で、
    ほっぺたがまだ赤い、山から出てきた・・・
相川:山ってどうですか、それっ。
大橋:山から出てきた娘という感じで、非常に初々しい・・・18歳だったんだっけ?
相川:18ですよ、ホントにもう。
大橋:下の稽古場に来たんだっけ?
相川:そうです。
大橋:稽古場に来て、初めて制作として入りましたっていう紹介だったのかな?
相川:そうですね。最初に制作の落合さんと、中目黒駅前のルイーズという喫茶店でお会いして、
    「うちは養成所じゃないのよ」っていう話をされて、「いや、養成所に来たつもりはないので
    全然いいです」ってお話をして、「チケット関連のことをやったりとか、
    そういう制作的なお仕事を手伝えたらと思って来たんです」って言ったら、
    「じゃ稽古場行きましょうか」って言われて、中目黒マンション地下一階の稽古場に連れていかれ、
    皆に紹介され、「期待の大型新人か?」って言われつつ、「青森から出てきたのか」って言われつつ・・・
大橋:ホントにね、ここのほっぺたが赤かったのね(笑)
    僕のイメージとしては、最初にセーラー服で来たイメージがあるんだけど、そんなことなかったっけ?
相川:それは妄想入ってます。
    そのとき私は、紫色のセーターに白のシャツに黒いパンツ。
大橋:近いじゃん、なんかセーラー服にさ。
相川:近くない近くない。
大橋:稽古を正座して見てたよな?
相川:正座してたのかな?椅子を出してもらって、端っこで見てたような気がするんですけどね。

大橋:その時、ちなみに何を稽古してた?
相川:覚えてません。
大橋:なんだろう。。。
相川:すでにマインドの稽古に入ってたのかもしれないですね。
大橋:あの時、初演だった?
相川:初演でした。まだ全然形にはなってなかったですけど。
大橋:稽古っていうかエチュードやってたのか?
相川:多分エチュードやってたと思うんですけどね。
    当時は、ちょうどその年初めてのオーディションをやって、新人さんが十何人先にいて、
    今までのリブレの役者さんも全員揃ってて、そんな中に初めて18の娘が入ったって、
    なんか居場所なくいたのを覚えてますけどね。
大橋:その時、じゃぁ最初に声をかけたのは誰でしたか?
相川:誰だったかなぁ・・・その日の稽古では、誰が話しかけたとか覚えてないんですけど、
    飲みに行って、小林さんがすっごくステキなお兄さんだったのは覚えてますよ。
大橋:ほー。早速、じゃぁ小林さんが・・・
相川:すごく親切で、そろそろ終電、気をつけた方がいいんじゃないのって言って、
    11時くらいに帰してくれたのも覚えてるんすよね。
大橋:小林さんが隣に座ってたのかな?
相川:向かいかなんかだと思うんですけどね。

大橋:稽古場に新人十何人と、レギュラーメンバーがいたから二十何人いたんだ。
相川:いましたね。
大橋:ちなみにその時にいた新人で残っているのは?
相川:・・・私だけ?
    他の新人さん十何人は、ちゃんとオーディション受けて、面接とか、軽く台本読んだりとかいう、
    ちゃんとしたオーディション受けて入った人達で、“新人
って言っても、養成所行ってましたとか
    他の劇団に入ってましたとか、もう20後半ですとか、そういう新人さんばっかり。
    なんか私みたいに、高校出たばっかりで〜すって人はいなかったから、
    一応その人達と同期っていう括りにはなってましたけど、みそっかすというか、その新人の中でも・・・
大橋:中途入社。
相川:そんな感じですね。
大橋:その時は加藤健一事務所養成所からのが多かったよね。
相川:そうそう。皆、演劇経験者ってのが多かった。
大橋:4人くらいいたのかな?カトケンで。
相川:いました。
大橋:あとは、阿部能丸でしょ?他に粘ったのは、三田もそうだっけ?
相川:そうです、三田ちゃんもそうです。
    みんな結構ね、さっさといなくなっていって。当時学生と劇団と二足のわらじ履いてた
    みそっかすが最後の最後まで残っちゃって。しかも役者で。

大橋:そこら辺をお聞きしましょう。
    制作で入った相川倫子さんがなんで役者になったの?
相川:なんででしょうね、ホントにね。全ては大橋さんと伊東さんが悪いと私は思ってるんですけど。

大橋:初デビューの作品は?
相川:初デビューは・・・えぇと入団して半年後に、青山円形劇場でやった“ラジャ”のダンサーで。
大橋:“ラジャ”というのはですね、青山円形で初めてうちの劇団が出るときに、
    テーマがあって・・・何だっけ・・・?
相川:えぇっ?!大橋さん書いてるでしょ!
大橋:・・・そうそう、
ガリバー”というテーマがあって、いくつかの劇団が“ガリバー”をテーマに作品を書くと。
    遊機械(全自動シアター)とかね、フェスティバルだったのね。
    その円形劇場に回り舞台を作って・・・ってすごく当たり前のことなんだけど。
相川:普通ですよね、聞くとね。
大橋:普通、円形劇場に回り舞台はあるだろうと思うけど、なかったから、
    うちがあえて、円形劇場の上に、盆の舞台を作って回したというね。
    でもお客さんには、当然劇場の設備として、電動でそれがあるもんだろうと思われてて、
    実は人間が中に5〜6人入ってゴロゴロゴロゴロまわしてたんだけど、何の苦労も報われなかった。

大橋:あの時、ダンスシーンで20人くらい出てて、それはまぁダンスだけだよね。
    次にちゃんとしたセリフをしゃべった作品は?
相川:次の年明けの“風の牛若丸”。
    で、一応オーディションがあって、劇団内で女の子の役が3人で、
    ABのチームでオーディションをして、残った方が本役につくと。
    その時に、確か女の子が7人いて、じゃぁ相川をどうするか?って話になったようで、
    私はまた、みそっかすでAチームかなんかに入って、私の役はないから、セリフを皆からもらって、
    そのAチームと、台本通りのBチームとでやったら、
    私がいたAチームの方が通っちゃって、本役についたんですよ。
    「そんな、やらなくていいです」って心の中で思ってたんですけどね。
大橋:“牛若丸”っていうのは、劇団旗揚げして二回目の公演でやった作品の、90年版として再演した作品。
    これは浮浪者襲撃事件で、若いやつらが浮浪者を襲撃して殺してしまった事件の、
    いわば原点のような事件を基にした、伊東由美子作演の作品ですね。
    何の役をやったんですかね?
相川:浮浪者の、新たに付け加えられた“カンダちゃん”という役をやりましたね。
大橋:ちなみに役名が皆ね、山手線の駅名かなんかがついてて。
相川:またセリフが言えなくてね。

大橋:僕がおぼろげながら覚えてるのは、制作を希望していた相川倫子さんが、
    なぜ役者として採用されたのかというとですね、どこかで役者に対して無欲だった。
    すごく、こう「私がやるの?」ってイメージがあって。
    このキャスティングは、伊東さんが全部決めたと思うんだけど、
    そこら辺がウケて、役者として採用されてしまったんではないかな、と。
    そこがまぁ相川倫子さんの人生の分かれ目というんですか?
相川:ホントですよ。ホントに勘弁してください。大変なんですから。
大橋:そこから地獄の日々が始まったと。
相川:そのあと、普通に役ついてましたからね。
大橋:当たり前のように、役者としてメンバーでラインナップにあがってた。
相川:いつになったら、私は受付に回れるんだろうって、ちょっと心の中では思ってたんですけど。

大橋:ある意味初舞台の印象はどうでしたか?
相川:どうなんでしょうね・・・楽しかったですよ、多分。
    ちょっと遠い話なんで、もう風化しつつありますけど。
大橋:その頃はほとんど学校へも通わず?
相川:大変でしたよ!ホントにもう、テストがあるから休みたいなぁていうのも、
    キャストについちゃったからそれもできないし、授業を5限まで受けてたりすると、
    稽古に間に合わないし。3年まで苦労しましたね、結構。
大橋:学業を続けながら舞台を始めたと。
相川:そうですね。
大橋:役者人生のそこが、とりあえずの原点ですかね。
相川:原点なんでしょうかねぇ。

大橋:その牛若丸の次の作品は何でしたっけ?
相川:何でしたっけ?もう覚えてないんですけど・・・

                              
・・・と過去のパンフをあさる記憶の薄い二人。次回へ続く。

インタビュアー:大橋泰彦

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